愛するということ

アート

むかし読んだ著書のひとつに、ドイツの社会心理学者・精神分析者・哲学者であるエーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm)の「愛するということ」がある。

タイトルに惹かれ、著書を手にとったが、内容は想像するものとは全く異なっていた。

愛は「技術」であり、愛の問題は「愛する能力の問題」である。そして、愛の技術を習得するには、愛する技術に最大の関心を寄せ、その理論を学び、習練に励む必要がある。というものでした。

人格の一部にこの考え方は少なからず根を張っている。

愛することは簡単なことではない。
愛することのできる人は溜め込む人ではなく、与えることのできる人である。
思いあがることもなく、他人に依存しきることもなく、ただ自分の中にある力を信じ、与えようとする、成熟した人格の持ち主である。
では、与えるという行為の本質とは何だろうか?
それは何か特定のモノや商品を与えることではない。
自分の喜び、興味、知識、ユーモア、悲しみといった自分の中に息づいている大切なもの。
すなわち、自分の命をわけ与えることにある。
それによって相手の心は活気づき、自分もまた満たされた気持ちになっていく。
しかし愛することのできない人は、愛することを恐れる。
与えれば自分が何かを失い、損をすると怖がっている。
つまり愛する勇気を持てないでいる。

世の中が生きにくくなればなるほど、愛することは難しい。
世の中を生きにくくするのは、愛することのできない自分本位な人。

愛のない人を愛することは難しい。
愛を与えてくれた人に愛を返すこともその愛の大きさゆえに足りない。
そんなことを考えていると愛は苦しい。哲学は心に余裕があるときに。

桜
Sugimotoo

Sugimotoo

1992年生まれ。SD WEBWORKS代表。システム開発会社でコーディングや WordPressのカスタマイズを学び、2018年フリーランスに。200サイト以上の制作実績。WEB制作に関するお悩みがある方は、お気軽にご相談ください。

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